『Tea For Two』
緩やかな坂道を登り切った、街を見下ろす高台にその喫茶店はあった。
少し古びたドアを開くと、そこには気持ちのいい音楽が流れ、
一日中差し込む柔らかな光は、暖かで穏やかな雰囲気をかもし出している。
そんな雰囲気に重なるような、穏やかな、人の良さそうな笑顔をした眼鏡をかけた長身の青年が
この店のマスター・桑原基(くわはら・もとき)である。
そんな彼がいるからこそ、この店にはいつもたくさんの客が訪れる。
その店の名は、[Lumire](ルミエル)と言う。
1
喫茶店『ルミエル』の一日は、三杯のお茶から始まる。
仕込が終わり、掃除もすんだ開店三十分前。その日最初に沸かしたお湯でマスタ−が入れてくれたお茶をのみながら簡単な朝礼をする。
用意されるお茶は三杯……マスタ−と、この店唯一の従業員のあたし・石橋直加(いしばし・なおか)、そして、数年前に亡くなったマスタ−の奥様のための一杯。
丁寧に入れられた極上のダ−ジリンティを奥様の写真の前に供えて、あたしとマスタ−は朝礼をする。
そうして初めて、この店の開店準備は終わったことになるのだ。
「よお、直加。あいかわらずかわいいな」
歯の浮くようなせりふを口にしながらやってくるのは、売れない作家の宮森さん。作家やるより、モデルでもやったほうが儲かるんじゃ?と思えるほどの男前。
「マスタ−、なんか食わせて〜」
そう言って入ってくるのは近所の楽器屋の三代目・嶋田さん。
「来たな、食欲魔人。おまえんちって、飯も食わせてくんないのかよ。」
「こっちはあんたと違って忙しいからな。何か食わんと身がもたんのよ。そう言うあんたこそ原稿書けたのかよ・貧乏作家!」
なにかと言うとからかい合う宮森さんと嶋田さん。そこへ。
「田舎から野菜送ってきたの〜なんか使えない〜?」
「漬物たくさん作ったから〜食べて〜」
「ばーちゃんのふくれ菓子、みんな食べるかい?」
毎日、なにかしら差し入れをしてくれる近所のおばあちゃん3人組がやってきて、その場がなごやかになる。
外回りじゃ茶も飲めんから、と言いながらやってくる銀行の人。すっかりこの店を井戸端会議場にしちゃってる若いママさんたち。開店した途端に常連さんたちが代わる代わるやってきて、この店の客が途絶えることはない。
そんな中・あたしにはどうしても気になることがあった。
とあるお客さんのことなんだけど、いつ店に来てもいいように、彼の『指定席』が決まっていて、彼が来ないときはどんなに混んでいても誰も座らせないようにしている理由と、その席の主をもう一週間も見かけていないこと。
2
「彼」はいつも、昼過ぎに現れる。
白い、大きな犬を店の脇の駐輪場につなぎ、マスタ−が差し出すミルクと餌を与えて、ゆっくりと入ってくる。
「校長!」「柴田さん!」
いつもはにぎやかな常連さんたちも彼が来るとおしゃべりを止め、みんなが一斉に挨拶をする。
マスタ−・嶋田さん・宮森さんたちが中学時代の校長先生だったことから、若い人たちはいまだに彼を校長と呼ぶ。店にいる一人一人にあいさつをして、日当りのいい窓際の彼の『指定席』にゆっくり座る。そして、必ずこう注文するのだ。
「エスプレッソとミルクティーを」と。
頼まれた品が来ると、まずミルクティ−に砂糖を入れ、向かいの席に置く。そうしてやっと自分のコーヒーを口にする。まるで向かいの席に人が座っているかの行動が、どうもあたしには不思議に思えてしょうがない。
ものすごく失礼なんだけど、彼は頭がどうかしているのではないかとさえ思った。だけど、普段の話し方やみんなと一緒にいるところを見ていても別段変わったことはなく、むしろ元学校の先生だけあってその話し方には説得力があって、校長先生になるぐらいの人だから、みんなの相談にも的確に乗ってあげていて。身なりだって簡素だけどきちんと洗濯された、センスのいい服を身につけている。
そして、帰るときにはすっかり冷えたミルクティ−を飲み干して出ていく彼の行動を、あたし以外、この店で常連と呼ばれる人たちは誰も変などと言ったりはしない。マスターたちにこのことを話しても、みんな話を逸らすばかりで、誰一人として教えてはくれなかった。
その柴田さんがここ一週間、一度も姿を見せていない。彼がいつ来てもいいように、彼の指定席に置いてある『予約席』のプレートが、差し込む光を受けてやけに輝いているのがなんだか悲しかった。
3
「直ちゃん、ちょっと」
「校長」こと柴田さんを見かけなくなって、もう十日以上たったある日、マスタ−があたしを呼ぶ。
マスターの顔からは笑顔が消えている。あまり見ることのないマスターの深刻な表情に驚く。
「・・・大丈夫だとは思うけど、ちょっと柴田さんの家にお使い頼まれてくれないかな」
渡された荷物(食事入り)と、マスターが書いてくれた地図をもって、柴田さんの家を訪ねる。
十五分ほど歩いた頃、塀越しに柴田さんがいつもつれている犬の姿が見えたのでその家に入っていく。小じんまりしてるけどまだ新しくて綺麗なその家を見ていると。
「おや、直ちゃんじゃないか!」
その声にふりむくと、柴田さんがそこにいた。
「……桑原君のほどおいしくないかもしれないけど、さ、飲みなさい。忙しいところをすまなかったね。ちょっと風邪をこじらせてしまってね、昨日まで寝ていたんだ」
柴田さんの入れてくれたコーヒーをのみながら、あたしはその辺を見渡す。
「ひとりで暮らしていてね、病気になったりすると、やっぱりそばに誰かいてくれたほうが安心するなって気がするよ。こんなちっちゃな家でも、一人でいるとものすごく広く感じるんだ。」
そんなふうにつぶやく柴田さん。
「あの・・・失礼かとは思うんですけど、ご家族の方は・・・」
あたしがずっと気になっていたことを口にした瞬間、ほんの一瞬だけど柴田さんの顔から笑顔が消えた。
「直ちゃんは今いくつだい?」
「21ですけど・・・」
聞いてはいけない事を聞いてしまったような気がして、あたしの返事は重い。
「21か・・・私たちに子供がいれば、直ちゃんよりもうちょっと上ぐらいだったかな・・・。私と恭子・・・家内が結婚したのがもう30年以上も前だけど、どんなにがんばっても子供ができなかったんだ。恭子は仕方ないと笑っていたけれど、本当はどんなにつらい気持ちだったか・・・今となってはもう聞けないけれど。」
ぽつりぽつりと語る柴田さんの話を、あたしは何も言えずに聞いていた。
「子供がいないから、私たちはずっと二人で私の転勤の度にいろんな町へ引っ越した。どんなところにも、恭子は笑顔でついてきてくれた。仕事で忙しい私のかわりに、身の回りの世話や、ご近所とのつきあい・・・文句一つ言わずにこなしてくれた。……そんな恭子がひとつだけ、私にお願いをしたんだ。
『あなたが退職したらこの町に住みたい、この町に家を建てて二人で楽しく暮らしましょう』って。
15〜6年前、桑原君たちがまだ中学生の頃、この町に住んでいてね。この町がとても気に入っていたらしいんだ。
約束通り、私はこの家を造った。でも、私が退職して半年もたたないうちに恭子は死んでしまったんだ、あっけなくね。余りにも急すぎて・・・これからだったのに、二人で楽しく穏やかに暮らしていこうって約束したばかりだったのに……」
柴田さんの身体が、小さく震えている。穏やかに語っているその瞳が真赤に染まっている。
奥様が亡くなってもう何年もたつのに、大切な人をあっけなく亡くした悲しみは、柴田さんの中からまだ消えていないんだ……そんな気持ちで、なにも言葉をかけられないまま、黙って隣に座っているしかなかった。
「恭子が亡くなってしばらくして、桑原君や嶋田君たちがここを訪ねてきた。そして、恭子が『ルミエル』の常連だったことを教えてくれた。私がいつも座ってるあの席は、元々は恭子が座っていた席なんだ。あの日当たりのいい席で、ミルクティーを飲みながら編み物をしたり、常連さんたちとおしゃべりしたり・・・・とても幸せそうで、満ち足りたいい笑顔をしていた、って、みんながそう言ってくれて、それから私も『ルミエル』に通うようになったんだ。あの席で、恭子が座っていたテーブルでお茶を飲んで、『ルミエル』にいる人たちと一緒にいることで、私は恭子と一緒にお茶を飲んでるような気持ちになる。まるで、恭子が笑顔で私の向かいの席にいるような気がしてくるんだよ・・・」
「じゃあ、わざわざ飲み物を二つたのむのは・・・・」
「そう。恭子の分なんだ。初めて『ルミエル』に行ったときに桑原君がね、『奥様も一緒にお茶を飲みましょう』って、恭子の分のミルクティを用意してくれて・・・うれしかったなあ・・・。まあ、彼も奥さんを亡くしているから、私の心の中がわかったんだろうね。」
庭先に吹く風が少し冷たく感じられて、ふと時計を見るともう夕方に近い時間だった。
「長々とつきあわせてすまなかったね。そろそろ帰らないと桑原君が心配するだろうからね」
そう言った柴田さんの顔からは、さっきの悲しみの表情は消えていた。
「そのうちにまた店におじゃまするよって、桑原君に伝えておいて。なにしろ十日も自分で淹れたまずいコーヒーを飲んでたから、『ルミエル』のコーヒーが恋しくってね」
肩をすくめて笑う。その表情にほっとして帰りかけたあたしを再び柴田さんが呼ぶ。
「直ちゃんもいつかお嫁さんに行くだろうけど、一日でもいいから、だんなより長生きしなさい。この年になって、男一人で取り残されるのはやっぱり寂しいよ。どんなに人前で亭主関白気取ってても、かみさんがいないと、男一人じゃなにもできない。男のわがままかも知れないけど、やっぱりかみさんには一日でも長く生きて、自分のそばにいてほしい。恭子に先立たれて、そのことが身に染みてわかったよ」
数日後。
いつものようにあたしたちは、3杯のお茶で一日が始まる。
いつものように宮森さんたちがやってきて大騒ぎになって、常連さんたちが次々にやってきてなかなか休む間もないけど、あたしはこの店の従業員で良かったと思う。
柔らかい光の中で、人の気持ちを理解できるマスターや暖かい人たちに囲まれて、おいしいお茶を飲むひととき。ありふれているようだけど、実はものすごく贅沢で、幸せな時間なんだって今は思える。
「あっ!校長が来た!」
窓の外を眺めていた嶋田さんが大声でみんなを呼ぶ。みんながあわてて窓の回りに集まって、まるで有名人を見かけた野次馬のようだ。半月ぶりに会う柴田さんをみんなで迎えようという常連さんたちの気持ちが柴田さんにも伝わったのか、笑顔で小走りでやってくる柴田さん。
♪かららん♪いつもより大きな音でドアが開き、みんなの表情が笑顔に変わる。つられてあたしも笑顔になってしまう。
「……いらっしゃいませ!」
『Tea For Two』 【終】
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From Yuzuki
もともとは、当時の所属サークルのテーマ『お茶会』をもとに作られた第一話。
そうは見えないかもしれないけれど、このシリーズの一貫したテーマが『癒しの空間』 『大人の童話』、なんですね。
この物語で、読んでくださった方の心がほっと和むような、そう言うお話を書いていけたらいいなと思います。
最終的にどうするかは脳内設定ができてるんですが、そこにたどり着くまではまだまだ時間がかかりそうですから。(笑)
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