『例えば、雲間から差し込む一筋の光のように。』
   緩やかな坂道をのぼり切った、街を見下ろす高台にその喫茶店はあった。
   少し古びたドアを開くと、そこには気持ちのいい音楽が静かに流れ、
   一日中差し込む柔らかな光は、暖かで穏やかな雰囲気をかもし出している。
   そんな雰囲気に重なるような、優しい、人の良さそうな笑顔をした、眼鏡をかけた長身の青年が
   この店のマスター・桑原基(くわはら・もとき)である。
   そんな彼がいるからこそ、この店にはいつもたくさんの客が訪れる。
   その店の名は、[Lumire](ルミエル)と言う。
        
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 「直ちゃん、そろそろ・・・」
 夜8時半。マスターの一言であたしは表のドアプレートを「CLOSED」に変える。
 だけどそれでルミエルの一日が終わるわけではない。むしろ・・・。
「んもーうっ、晩ご飯ぐらい家で食べてくださいよー!」
「そーいう直加こそ家で作って食べりゃいいだろーがっ」
「だって一人の食事って味気ないんだもんっ」
「俺たちだってそーなのっ!だから仲良くみんなでたべよー」 
 賄いの食事を狙って常連さんたちがなかなか帰ろうとせず、結局9時・10時まで、マスター・あたし・常連さんたちの夕食会は繰り広げられるのだ。

 「ごめんなさい。毎晩毎晩マスターも大変ですよね?こんなに大人数の食事じゃ」
みんながどんちゃんしてるのをにこにこして見ているマスターに聞いてみる。
「そんなことないよ。食事はにぎやかなほうがおいしいよね。同じ食事なのに一人だとなんか味気ないんだよね。」
 そうなのだ。この食事会に参加してる人は、みんな一人で食べる食事の味気なさを知っている人たちなんだ。単身赴任でこの街にきた人、親元を離れた学生さん、宮森さんのように夜中まで一人で仕事する人。そして、奥様に先立たれたマスター、「家族」のいないあたし。
 孤独な夜の寂しさを嫌と言うほど知っている人たちが、この店に集まっているのだ。 

 「そーいや直加、ここに来てもうどれくらいになった?」
 しみじみと語るあたしとマスターの会話に突然割り込む宮森さん。
「んー・・・もう一年たったかなあ。」
「そーか、もう一年たったか。あん時は、今にも死にそうな顔してここに入ってきたよなあ、直加。」
「だってあの時は本当に死のうかと思ってたもん、本気で」
「んな恐いことしれっと言うなよなー。」
「だって本当のことだもん」
あたしは肩をすくめて苦笑する。 
 出来ることなら振り返りたくない「あの頃」のこと。
 今、以前よりは楽に振り返ることが出来るのも、ルミエルの存在とここに集う人たちの暖かさに支えられたからだ。 
 
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 まだあたしに「家族」と呼ばれる人たちがいた頃、あたしは夜が嫌いだった。
 あたしが中学生になる頃から、父親の帰りがほぼ毎日午前様になり、日曜日も遅くまで出歩くようになった。
 「きっとまた女の所だわ。絶対そうに決まってる」
 父のいない女二人だけの夕食時。母は呪文のようにその言葉を繰り返し続けた。
 ギャンブルも酒もほとんどやらない父が毎日のように帰りが遅くなるのは、よその女の人と浮気しているから。それが母の言い分だった。確実な証拠をつかんでるわけではないけど、女の勘・というやつらしい。
 「ママ・・・それが事実だって決まったわけじゃないのに。心配しすぎよ。パパに限ってそんなことないって」
あたしはあたしで、そんな言葉で母に返事しながら、自分自身にも言い聞かせ続けた。まさかそんなことがあるわけない。父の愛情が私たち家族以外に向くわけがない。何があっても家族の絆は壊れない、そう思いたかった。
 
 だけど父の帰りはますます遅くなり、それを責め立てる母のヒステリックな声を毎日のように聞きながら、あたしはベッドの中で早く朝が来てほしい、そればかり祈りながら泣いていた。
 朝が来て、学校にいる間だけは家のことを考えなくていい、母の鬼のような顔も、父が家にいるときの無表情な冷たい顔を見なくてすむから。そんな生活が何年も続いているのに、外に出れば『仲のいい家族』を演じて、まわりもそれを信じていた。
 嘘だらけの、外見だけの『仲のいい家族』を続けて何の意味があるんだろう。そんなことを考えるようになって、家族3人そろっていても、あたしはいつも一人のような気がしてた。

 そんなある日、母はついに決断した。
 興信所に依頼して、父の浮気の証拠を突き止めた。
 証拠を突きつけられても父は動じなかった。それどころか、これで離婚の話がしやすくなったとまで言った。
 そんなせりふが出るくらい父は相手のことを大事に思っていて、私たちへの愛情はその何十分の一もないんだ。そう気づいたとき、あたしは両親のことを「パパ・ママ」と呼べなくなっていた。
 それから間もなくあたしと母の苗字は「石橋」に変わり、17年間暮らした家を出て、新しい生活が始まった。
 離婚したことでふっきれたのか、母は以前よりも明るくなり、仕事も変わったせいかいきいきとしてて、二人の生活は結構楽しかった。・・・・・・たった2年しか続かなかったけど。
                                    
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 ああ・・・これでいよいよ「ひとりぼっち」になっちゃった・・・。 
 立ちのぼる線香の煙で白くかすんだ部屋の中で、あたしはぼんやりと座り込んでいた。
 目の前には笑顔の母の写真と、燃えて小さくなって白木の箱に納まった母の変わり果てた姿がある。
 それは本当に急な出来事だった。その日の朝、笑顔であたしを見送った母が、半日後には病院のベッドで冷たくなっていた。いつものようにあたしを送り出した後、いつものように出勤して・・・・・・会社で倒れて、そのまま逝ってしまった。
 嘆き悲しむ間もなく母の葬式をすませ、燃えて灰になった母を家につれて帰り、両親が離婚して以来2年ぶりに会った父や、近所の世話役の人がいなくなり、あたしは久しぶりにひとりの夜を過ごしている。
 余りに忙しすぎて考える余裕もなかったけど、これからのこととかいろいろ考えたら急に涙が込み上げてきて、母が死んでから初めて泣いた。誰もいない部屋にあたしの泣き声だけが大きく響いてますます哀しくなって、涙を止めることが出来なかった。
 
 母を急に亡くして呆然としていたあたしを現実はほっといてくれず、何がなんだかわからないままいろんな事をこなして、母のことが終わったと思ったら今度は自分自身の現実が待っていて。短大2年になっていたあたしは、どうしても就職が決まらずに悩んでいた。
 もう何社面接にいったんだろう・・・履きなれないハイヒールで痛めた足をひきずるように、家に戻る。
 明かりの灯らない誰もいない部屋に帰るのはいくつになっても寂しいものがある。
 「お母さん・・・あたしいったいどうしたらいい・・・?」
 返事が返ってくるわけもなく、写真の中の母は変わらない笑顔のままで、誰もいない部屋の中にあたしの声だけが響く。
 
 母が亡くなってから、何度か父と会う機会があった。
 そのたびに彼はあたしのことを心配していると言った。一緒に暮らそうとも言ってくれた。だけどどうしてもあたしはその言葉を受け入れられなかった。
 あの日、あたしたちが親子じゃなくなって、父は別の人と、その人との間に生まれた子供とで新しい家族を築き、どうしようもないことだとはわかっていても、父に捨てられた、その気持ちはどうしても拭い去ることが出来なくて。
 ましてや、その父と結婚した人を許せるはずもなく、それくらいなら一人で生きていく……と、父の前では啖呵をきったものの、これから当分は誰にも頼らずに自分の力で生きていかなければならないのかと思うと不安でしょうがない。

 今まで自分が親の愛情に守られて生きてたきたのだと言うことを、母が死んだことではっきりと気づいた。
 二十歳になって、社会には大人と認められる年齢になったのに、あたしは迷い子のようにこれからの道を見つけられない。
 ……ふと外を見ると、そこに広がる夜の闇は静かで、暗くて飲み込まれてしまいそうな気がして。あたしはふらふらと立ち上がり、外へ出た。
 星ひとつない、月も見えない真暗に曇った空の下を当てもなくふらふらと歩いていく。
 ほとんど無意識に電車に乗り、大学の最寄り駅でおりて、大学へ向かう道とはまったく逆の方角へ歩いていた。今思えば、この現実から逃げたい、そう言う気持ちがさせた行動だったのだろう。
 長い長い坂道をのぼり切ったとき、目の前に見えた店の明かりに吸い寄せられるように近づいていく。窓越しにお客さんの笑顔が見える。ドアのそばの看板には[Lumire](ルミエル)と書いてあった・・・・。 

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 「・・・そっか・・・あの時、そんなことがあったのか・・・。」
 あたしが初めてルミエルを訪れた日のこと、今までの自分の過去を他人に話したのは今日が初めてだった。
 出来ることなら振り返りたくなかった自分の過去。こうやって話せるようになったのは、今までのことを客観的に見れるほど精神的に成長したのと、ルミエルに集う人々とふれ会うことで、傷ついた心がいやされて少しは強くなれたからだろう。 

 初めてルミエルに足を踏み入れたあの日、マスターを初め常連の人たちが、初対面のあたしにまるで以前からの知り合いのように接してくれて、マスターが入れてくれたミルクティーは今までどこでも飲んだことのないほどおいしくて、暖かくて、優しくて、あたしの張りつめて強ばった心を溶かすのには十分な効き目があって、常連さんたちの面白い話に、いつのまにか大声で笑ってたことに気づくまでそう時間はかからなかった。
 なんだ・・・あたし、ちゃんと笑えてるじゃない・・・。
 まだ、大丈夫だ。声を挙げて笑えるならきっとまだ心に余裕がある、生きていける。あたし、ひとりじゃない。またここに来よう。もしまた何か辛いことが起こっても、ここに来ればきっと癒されるだろう。あの日この店で過ごした数時間で、心の中に新たな決意が芽生え始めていた。
 
 その後・あたしは母と暮らしたアパートを引き払って、大学とルミエルのある街に引っ越した。
 短大を卒業するまでに就職の内定は一つも取れなかったけど、マスターがルミエルのアルバイトとして雇ってくれて、今に至っている。 
 「そう言えば直加、『ルミエル』ってどんな意味か知ってるか?」
 話が終わり、食後のコーヒーをゆっくりと飲みながら宮森さんが聞いた。意味のわからないあたしが首を振ると。

 「あのな、ルミエルってフランス語で『光』って意味なんだって。・・・・・・ぴったりだと思わないか?」 
 光という意味の名前……まさにこの店にこれ以上はないほどぴったりな名前だと思った。 
 一日中降り注ぐ暖かい陽の光。それに負けないくらい誠実で穏やかなマスターの人柄。ここに来る全ての人を優しく包んでいやしてくれるこの店にふさわしい名前。そう思った。
 
 時々こんなふうに考えることがある。
 一年前、あたしがこの店にたどり着けたのは、偶然ではなく何か見えない糸みたいなものに導かれたのではなかっただろうか。
 坂道を上っていたら飛び込んできた「ルミエル」の店の明かり。そこだけがスポットライトを浴びたように輝いていて、そこへいけば何かにかみえてくるかもしれない、そんな感じに見えたのだ。

 
 そう、それは例えば重い雲間から差し込む一筋の光のように。

『例えば、雲間から差し込む一筋の光のように』 【終】 

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From Yuzuki
一応(笑)このシリーズのメインキャストである、直加がメインの第2弾。
(結局締切に遅れて提出できなかったけど)所属サークルのテーマ『夜』に合わせて書き下ろした作品。
だけど最後までタイトルが決まらず、悩み悩んだ挙句にラスト一行が生まれてきたときは、このフレーズをタイトルにも採用したぐらい気に入って、
『あたしってすごいじゃん!』(自画自賛)って思いましたがな。

次は若き楽器屋三代目・食欲魔人(by宮森氏)の嶋田君がメインのお話です。
いつか若き日のマスターとか宮森メインの話が書きたいんですけどねえ。


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