桜 坂
 −サクラ、チル −。
 通知を握り締める高史の手が震えていた。
 あたしはそばで見ていて声をかけることすらできなかった。 
 「気にすんなよ、葵」
笑っているけれど彼の顔は青ざめている。
 
 二人の間に流れる沈黙。
 ♪キ − ン コ − ン カ − ン コ − ン・・・・。
 夕暮れの教室にチャイムの音がむなしく響いた・・・。

 「離れても、きっと私たち大丈夫よ。距離なんて関係ないわ」
 高史が希望の大学にすべて不合格で鹿児島に残ることが決まってから、あたしは呪文のようにつぶやいていた。繰り返し繰り返し、高史に、そしてくじけそうになる自分の心に。
 
 高校一年の時初めて会って、つきあうようになってからあたしたちにこんな日が来るなんて思いもしなかった。
 ふるさと・鹿児島もけして嫌いではないけれど、いつしか二人ともが東京に行きたいと思うようになったのも相手に影響されたからではなくて、お互いが夢見ていた未来がたまたま一致していた、それだけのこと。
 なんて気の合った二人なんだろう、きっと二人の未来は順風満帆でこのまま続いていくのだろうと、固く強く信じていた。
 
 たとえ一年とはいえ、このまま二人はどうなるのだろう、と彼と出会ってから初めて二人の未来に不安を覚えた。

 あたしが東京に出発する前夜、急に高史から電話がかかってきて学校に呼び出された。

 「・・・今年は、桜が早いなあ」
3月半ばだというのに、校門前の坂道の桜はすでに咲き始めている。 
 この坂道が、あたしたちの始まりの場所だった。高校の入学式の日、この坂道で高史と出会った。昨日のことのように鮮やかに覚えているあの日、そして二人が今日まで歩いてきた日々、そんなことを思い返していると。  
 
 「なんだ、もう来てたのか」
あたしに遅れること数分後、高史がやってきた。 
「俺、見送りには行けないからさ、いちお今言っとこーと思って」
高史はあたしの目を見て一言。  

 「来年、俺が合格して、東京に行けたらその時は一緒に暮らさないか」 
 
 思っても見なかった言葉にあたしは呆然とする。 
「信じて、いいの・・・?」
「もちろん。だから、今年はバイトしながら予備校に行こうと思って・・・お、おい泣くなよ」
あたしは高史の前で泣いていた。うれしさと悲しさがごっちゃになって。 
「ばか、泣くな・・・。」
涙を止めることのできないあたしを高史が抱きしめる。
 その暖かさと、闇の中で雪のように見えた桜がいつまでもあたしの心に焼きついて離れなかった・・・。

 それから一年後、あたしは高史の上京を待たずに彼に別れを告げた。
 彼のことを嫌いになったわけじゃない。あと数ヶ月すれば、彼はきっと東京に来てくれる。
 だけど、連絡一つくれない高史のことを思うことに疲れたあたしのこころは、その何十日かさえも待てないほど寂しくて、それが彼を愛し続ける気持ちに勝ってしまうようになっていたから。
 
 高史に別れを告げる最後の手紙を出した後、あたしは逃げるように会社の寮を出て一人暮しを始めた。
 身内と親しい友達にしか行き先を告げず、できる限りの口止めをして、あたしの世界から高史の存在を遠ざけるために。そうやって、16歳から高史一色だったあたしの生活を、こころを見つめ直そうと思っていた。
 
 そのうちに、高史以外の男の人なんて・・・と思っていたあたしにも彼ができた。
 高史とは違う、陽気で、頼もしくて優しい人。
 あたしが高史のことで悩んでいた時に励ましてくれたひと。 
 時が経つうちに、高史に対する罪悪感みたいなものもいつのまにか消え失せ、改めて彼・洋ちゃんについていこうと思った時、皮肉なことに神様は再びあたしたちを引き合わせたのだった。
 
 
 しばらく会うことはないだろうと思っていた高史が、突然あたしの前に現れた。・・・洋ちゃんの『友達』として。
 彼と別れて、一年が経とうとしていた。


 高史は呆然としていた。
 なんでお前がここにいるんだ。
 友達の『彼女』としてここにいるんだ。
 ことばにこそださなかったが、彼の表情はそう言いたそうに見えた。

 あたしも一瞬言葉に詰まった。
 今自分はどんな顔をして昔の彼と、今の彼の前に立っているのだろう。
 でも、自分がどうしようと考える前に、とっさに本能みたいなものが働いた。

 「・・・初めまして!松下葵です。よろしく!」
 
 ・・・あたしがとっさにとった行動、それは。
 とびっきりの笑顔で初対面のふりをすること、だった・・・。

 
 久々の再会は、和気あいあいな雰囲気の中で、滞りなく進んで行った。
決して男性陣に動揺してるところなんか見せないように、精一杯平静を装って。

 「葵・・・今、幸せか?」
 彼の帰り際に二人きりになった時、ぽつりと高史がつぶやいた言葉に、あたしの心は揺れた。

「・・・幸せよ。少なくとも去年の今頃よりはずっとね」
そう、あなたに別れを告げた頃の寂しさに比べたらずっとずっと幸せ。
高史に背を向けたまま精一杯の皮肉を込めてつぶやく、動揺してるのを彼に悟られないように。

 揺れる心を抱えたままあたしは洋ちゃんの部屋に戻った。
「おかえり、葵。寒かったろ?」笑顔で迎えてくれる洋ちゃん。その笑顔が、なぜか心にちくちくと刺さる。

 「高史、いい奴だろ?また連れてくるよ」
何も知らない洋ちゃん。その無邪気な言葉に、耳も心も痛い。

 春ももう近いというのに、いつのまにか外では雪が降りだしていた。
 それを洋ちゃんの腕の中で見ているうちに、あたしは鹿児島を離れるときに高史と見たあの夜桜の風景を思い出していた。
 
 あたしは今『洋ちゃんの彼女』のはずなのに、なぜかまた高史のことが心の中にちらつき始めている。
 洋ちゃんと高史、どっちつかずの不安定な心を抱えたまま、どこへ行こうとしているのだろう。 
 これからあたしはどうすればいいのだろう。こんなことを思うあたしはずるいのかもしれない。 
 
 複雑な思いで、あたしは静かに降る雪を見つめ続けていた・・・。
From Yuzuki
『悲しみは雪のように』の続編、葵視点の物語です。
洋平視点の、葵と洋平が出会って付き合うようになった経緯、
そしてその後この3人がどうなっていくのか、私の脳内ではプロットができてるのですが、未だに日の目を見てません(苦笑)。
『悲しみは−』のテーマソングは浜省さんの同名の曲ですが、
『桜坂』は福山・・・ではなく、槇原敬之氏の楽曲がモチーフになってます。
今思えばこの曲でまっきーファンになったんだよなあ。
『どんなときも。』でブレイクする以前の話。


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