「あら、瞳子!どこ行くの?これからお姉ちゃんのお祝いするのよ」
玄関で靴をはいているあたしに、お母さんが背中越しに話しかける。
「うん・・・ちょっと美和子の家に行ってくる」
「そう、あまり遅くならないようにね」
お父さんは二人のことを認めたのだろう。応接間からは楽しそうな笑い声が聞こえる。だけど、めちゃくちゃにこんがらがった心にはどれも同じ、ただの雑音にしか聞こえない。
ふらふらと家を出て、夜の通りを歩いていく。美和子の家には行かず、たどり着いたのは公園。
小さい頃、寂しい時や悲しい時、いつもここで泣いていた。家で泣けない分、ここで泣いていた。
ブランコに腰掛ける。少しずつこぎながら夜空を見上げると、眼鏡越しに満天の星が瞳に映る。
『ヨウコサンヲ、ボクニクダサイ』
さっきの本並先生の言葉が、その時の真剣な顔が、そして彼に寄り添って心配そうな目をしていたお姉ちゃんの顔が、頭の中をぐるぐる回る。あの時、横にいるのがあたしだったらどんなに幸せだったか・・・。
ひょっとして、先生が家に来たのはめったに定時で帰らないお父さんがあたしの誕生日の今日は必ず家にいるとお姉ちゃんが教えたから・・・?だとしたら、あたしはふたりにだしにされたってこと?あたしの誕生日を利用したって訳?
力いっぱい漕ぎ続けてブランコはもう限界なのか、ぎしぎしと音を立てている。それはきしんで傷だらけのあたしの心の音なのかもしれない。
「瞳子?」
突然闇の中から声がして、驚いたあたしは足を滑らせ地面に落ちた。
「おい、瞳子大丈夫か!」
その声の主・亨があわててあたしに駆け寄り手をさしのべる。だけどあたしはその手を払いのけた。
「さわらないで!」
「瞳子、おまえ今日誕生日だろ?主役がこんなところでなにやってるんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・」
あたしは無言で服に付いた砂を払う。
「今、俺おまえのうちの前を通ったらやたら盛り上がってたからさ。てっきりおまえのバースデーを祝ってるんじゃないかと思ってさ。いやぁ、俺もまぜてもらおうっかなぁなんて思ってたんだ」
「うるさいわよ、亨」
亨のおしゃべりは今に始まったことじゃない。だけど今日はやけにかんにさわる。
「それに、今日の主役はお姉ちゃんに持ってかれたから」
「それじゃあ、とうとう瑶子さん結婚するのか?本並も来てたみたいだし・・・あの二人お似合いだもんなぁ。いやぁ・めでたいねえ」
「何がめでたいのよ。無神経にもほどがあるわ。人の誕生日利用して結婚の話するなんて。あたしにとって、一年に一度の特別な日にさっさと割り込んで自分のことを持ち込むなんて」
「おいおい、俺に八つ当たりかぁ?俺にいってもしょうがないだろう?何かりかりしてるんだよ。・・・あっ、ひょっとして瑶子さんに焼きもちやいてる、とか?」
・・・・・・自分でも、全身の血がひいていくのがわかった。
何でこいつに自分の心を読まれなきゃならないのか。誰にも見せずにいた自分の心をこいつに引っ張り出されないといけないのか。
「何を泣いてるんだよ。やっぱりどこか打ったのか?」
「え?」
頬に手を当てると冷たかった。自分でもよく分からないうちに涙が頬を伝って落ちていく。自分で自分がコントロールできない。こんなことは初めてだった。
「どう・・・して・・・」
無意識にこぼれるつぶやき。
「おい!瞳子しっかりしろ!!」
亨があたしの肩をつかんで揺さぶる。
「どう・・・して・・・どうしていつもお姉ちゃんなの?あれだけ大切にされてるのに何がたりないの?どうしてあたしの大事なものまでとっていくの?なんであたしじゃないの?どうしてみんなお姉ちゃんがいいの?どうしてあたしじゃだめなの!!」
今まで押さえてた心が暴走し始めて、疲れきったあたしにもう止めることはできなかった。情けないくらい取り乱してる。
「しっかりしろよ、おまえらしくないぞ」
その言葉で、あたしの心に一瞬だけ理性が戻る。
「『あたしらしい』って何よ。どんなあたしが本当のあたしだって言うのよ?」
「どんな、って・・・。『いつも冷静でめったに泣かないクールな女』がおまえのキャッチフレーズだろ?」
「冷静?クール?何も知らないくせに」
そう。誰もあたしのほんとの気持ちなんかわからない。誰にも・・・。
「その、人を馬鹿にしたような冷めきった笑い方はやめろよ。そこがかわいくないってんだよ。おまえん家で何があるか知らんけどさ、どうして姉妹でここまで違うんだよ?ちょっとは瑶子さんを見習って女らしくしたらどうだ?」
「そんなこと、とっくの昔にやってるわよ。お姉ちゃんを見習って少しはおとなしくしようとか、女の子らしくしてようとか。お料理や裁縫だってお母さんに教えられる前に覚えた。だけど、どんなにあたしががんばっても注目されるのはいつもお姉ちゃん。愛されるのはいつもお姉ちゃん!!これが17年続いてるのよ」
あたしは何をこんなにしゃべってるのだろう。よりによって亨に・・・。
「とにかく、帰ろうぜ。みんな心配する」
歩き出した亨にあたしは背を向ける。
「嫌よ、今は帰りたくない。亨一人で帰れば?」
「おまえ一人ほっとくわけに行かないだろう。いくらおまえが気が強くって可愛げのないやつでも、夜の公園に一人置いといたらどんな奴がいるかわかんないだろ?おまえだって一応女なんだから」
しょうがねぇなあ。亨は一言つぶやき、電話してくるからそこにいろと言い残して電話の方へ歩いていった。だけど、亨の姿が見えなくなるとあたしはそれをきかずに歩き出した。
夜十時すぎの街は、昼間とくらべると妖しげ、というか毒々しい明るさ・にぎやかさにあふれて、疲れきった目や心に痛いくらいしみる。そんな中をあたしはふらふらと歩いていく。
悲劇のヒロインを気取るつもりはなかった。だけど、小さいときに心の中に封じ込めて、押さえつけていたあたしの本心があふれだして、それがあたしを前へ、前へと進ませていた、あたしの意志を無視して。
もうどれくらい歩いたのか・・・そんなとき、向こうに見えた二つの人影。
「瞳子!」
「瞳子ちゃん!」
亨と美和子があたしにかけよってくる。逃げる気力がすでにないあたしを二人がつかまえる。
「瞳子ちゃん、家に帰るのが嫌なら今夜は家に泊まってよ、ねっ?ちっちゃいころみたいにさ」
あたしは力なくうなずいた。
「あら瞳子ちゃんいらっしゃい。瑶子ちゃん結婚するんだってね!おばさんお祝いしなくっちゃね!」
笑顔で迎えてくれる美和子のお母さんにとりあえず笑顔を返して(どんな状況でもとりあえず笑顔で返す技は身に付いてるのだ、悲しいことに)2階の美和子の部屋に行く。
「パジャマ無いからごめん、これ着て」
美和子からロングTシャツを渡されて着る。
「あのね瞳子ちゃん、あたしいつも思うの。瞳子ちゃんってあたしたちの勉強の面倒見てくれたり、相談に乗ってくれたりするけど、自分のことは誰にも話さないで自分ひとりで解決しようとしてるでしょ?今は良くてもいつか心がパンクしちゃうよ?
あたしたち、瞳子ちゃんにずいぶん救われているの。どんなときも、自分のことが大変なときでも、あたしたちが相談すると嫌な顔しないで聞いてくれるでしょ?
みんな瞳子ちゃんのこと、大好きなんだよ。尊敬すらしてるんだよ。そんな瞳子ちゃんだから、みんな自分の本心をさらせるんだよ。なんでも話せるんだよ。」
「あたしは・・・そんな美和子が言うほどの奴じゃない・・・誤解してるよ。それに、あたしは自分の本心をさらして嫌われるのがこわいの。だからみんなにもあたりさわりの無いことしか言えない。」
美和子のゆっくりとした、でも優しい言葉に、なぜか素直に心を開いて話すあたしがいた。
ふだんひかえめでめったに意見をしないけど、いざとなると強い、重みのある言葉を吐く美和子。いつだって笑っている美和子。美和子こそ本当の「強い人」なのかもしれない。
「それでもうれしいんだよ瞳子ちゃん。だからね、瞳子ちゃんも、つらいときはつらいって言っていいんだよ。疲れたら休んでいいんだよ。泣きたかったら泣いていいんだよ。
あのね、悩みは自分だけで背負い込んだら一でしかないけど、人に話したら二分の一にも、四分の一にもなるんだよ。あたしたちじゃ瞳子ちゃんほど頼りにならないけど、なんでも聞くから」
あたしはそれを聞くうちに、声をあげて泣いていた。
何気ない言葉だったけど本当はその言葉を一番聞きたかったのかもしれない。
8月10日・登校日。
結局あれから夏休みに突入してしまったため、本並先生にはあの日以来会っていなかった。ホームルームが終わった後、教室を出ようとしたあたしを彼が呼び止める。
「話がある。ちょっと待ってろ」
その目は恐いほど真剣だった。
「あたしは話すことなんてありません」
あたしはまっすぐに彼を見つめることができない。
「先生、牧島さんはこれからあたしたちと約束があるんです」
事情を知ってる美和子が横から助け船を出してくれたけど、
「10分で終わる。牧島を貸してくれ」
先生の気迫に押されて美和子がうなずく。
ほとんどひきずられるようにして視聴覚室に向かうあたしたち。視聴覚室に入るやいなや、小さな包みを投げる先生。
「瞳子、それ誕生日のプレゼント。こないだ渡すの忘れてたから」
そして彼はまじめな顔になり、あたしの目をのぞき込むようにして聞いた。
「瞳子は俺たちの結婚に反対か?
瑶子が言ったんだ。俺たちの結婚に瞳子が反対ならば瞳子がわかってくれるまで待ってくれ、と。俺もその言葉には賛成だ。だから知りたい、瞳子の気持ちを」
あたしはしばらく何も言えなかった。だけど、これを逃したらもう二度とチャンスはないかもしれない。あたしは思い切って言った。まっすぐに彼の目を見つめて。
「あたしにそれを言わせるんですか?あたしは先生のことが好きなのに」
「瞳子・・・」
先生は驚いたのだろう。しばらくあたしたちの間に流れる沈黙。やがてその大きな手であたしの頭をくしゃ、となでる。
「ごめんな、瞳子。おまえの気持ちに答えてやれなくて。だけど俺は瞳子のことを大切に思ってる。瑶子だってそうだ。
瑶子はいつも言ってる、瞳子の強さに憧れる、って。自分が体が弱いせいで、いつも瞳子が寂しい思いをしてるのを、苦しんでるのを見てきたから、瞳子のことを大事にしたいって。俺だって同感だ。
瑶子が俺のプロポーズにOKしてくれたとき、瑶子と結婚できると同時に、瞳子が俺の妹になるんだ、って思ってうれしかったんだ」
あまりにも予想通りの返事。でも今のあたしにはそれで十分だった。少なくとも本並先生があたしのことを嫌ってるわけじゃないってわかって。
「じゃあ、先生もう行くね。美和子達が待ってるから。」
あたしは視聴覚室を出る。予想通りの恋の結末にいまさら涙は出なかった。
教室に戻ると、心配そうな顔の美和子・梢・絵里・麻衣・楓が待っててくれた。
「待たせてごめん。さっ、帰ろうか!」
あたしは笑顔で呼びかけた。もちろんつくり笑いなんかじゃない、心からの笑顔(のつもり)で。