「空に投げた約束〜帰郷〜」
  緩やかな坂道を昇り切った、街を見下ろす高台にその喫茶店はあった。
  少し古びたドアを開くと、そこには気持ちのいい音楽が静かに流れ、
  一日中差し込む柔らかな光は、暖かで穏やかな雰囲気をかもし出している。 
  ここであたしはいわゆる「青春時代」を過ごした。
  ここではいつでも音楽に触れていて。
  ここにはいつも頼もしい仲間達の笑顔があって。
  「彼」にこの店につれてこられたあの日からこの町を離れるまでの3年間、
  古い言い方かも知れないけど、あたしの『青春』はここに全てあったと言える。
  この店はあたしたちの思い出がたくさん詰まっている宝箱のような存在なのだ。
  その店の名は、[Lumire](ルミエル)と言う。
                         1
 ♪からん。あの頃と少しも変わらない、「ルミエル」の古びた重い木のドアを開けると。
 「やあ。久しぶりですね、いづみちゃん。・・・話は聞いてるよ」
そこにはやっぱり変わらないマスターの笑顔があった。
「ごめんなさい、無理言ってしまって」
「いやいや、かまわないよ。なんかいづみちゃんたちが高校生の頃を思い出すなあ」

 「・・・じゃあ、そのピアノの前にすわって。目線こちらにお願いします」
言われた通りに笑顔をつくる。その瞬間閃く、眩しいフラッシュの光にも、もう慣れてしまった。
「ここが、織江さんにとっての一番の思い出の場所なんですね」
女性ライターが、顔も上げずに聞く。
「ええ。あたしの『音楽』はここから生まれたようなものですから」

 『織江いづみ』それが仕事上のあたしの名前。その名前で音楽を作り、歌う仕事をしている。
 いつか、自分たちの「音楽」を沢山の人に聴いてもらいたい。そんな夢と一緒に高校卒業と同時に上京したあたしたち。授業の合間にバイトして、練習用のスタジオの費用を作って、忙しかったけど、楽しかった。
 だけどその夢を追いかけられたのは、あたしたちが「学生」の間だけだった。皆はそれぞれの道を歩きだし、一人残されたあたしだけが「音楽」を続けていた。
 キーボード&コーラスのバックミュージシャンとしてライブに参加したり、スタジオミュージシャンといった裏方をしながら自分の曲を書き溜めてはオーディションに参加して。
 そうするうちに、ようやくメジャーデビューと言う夢をつかんだ時、あたしは25歳になっていた。
 
 「うわぁー、本物の織江いづみさんだぁ」
 ルミエルのウエイトレスの女の子が目を丸くしている。 
 自分の音楽をたくさんの人に聴いてもらうという夢。そのチャンスをつかんでデビューして1年、「織江いづみ」の名前も世間に知れてきて、ファンもライブの本数も増え、「タイアップ」もつき・・・。まさに「理想」と言える状況だろう。
 
 夢を叶えるまでは、この町に帰らないと決めていた。それは、一人東京に残ると決めた時に誓ったこと。
 今回、取材付きとはいえ久々のオフで4年ぶりに故郷の町に帰ってきたあたし。だけど気持ちは晴れなかった。
 バンドを解散した後、あたし以外のメンバーは全員この町に帰って社会人になった。みんなとけんかしてまで自分だけ夢を貫いたことが、ずっと心にひっかかっていた。

 ♪からん。ドアが勢いよく開く。
「あー腹へったー!マスターなんか食わしてー」
聞き覚えのある声に振り向くと、その声の主と目が合った。
「・・・いづみ・・・。」
彼の表情は、明らかにとまどっていた。
                              
                   2
 「キョウ7ジ イツモノバショデ タカヤ」
 あたしの19歳の誕生日。ポケベルに入ったメッセージに思わずにんまりする。
 バンドのメンバー4人で上京して約半年。
 高校時代からつきあっているあたしと、バンドのリーダーでベース担当の嶋田貴弥は、こっちにきてからは学校とバイト両立の生活で、会う機会と言えばバンドの練習の時だけになっていて、それ以外では久しぶりだったから、わくわくしながら待ち合わせの場所に向かう。 
 
 「これ・・・もらっていいの?」
 食事をして、カラオケ行って、帰る間際に渡された小箱。開いてみると、あたしの誕生石のベビーリングを鎖に通したペンダントが現れる。
「いづみ、キーボード弾くときは邪魔だから指輪はしない、って言ってただろ?だから、これにした。」
照れのせいか、彼のぶっきらぼうな物言いが、それを通り越して棒読みになってて、思わず吹き出してしまう。
「なんで笑うんだよ?」
「いやー、すごくうれしいんだけど、貴弥がどんな顔してこれ買いに行ったのかなって思って」
 返事がないところを見ると、よっぽど恥ずかしかったのだろう。真赤な顔してこれを買った彼の顔が手に取るように想像できて、でもそんな思いをしてまで選んでくれたプレゼントが、とってもうれしかった。
「今の俺にはそれくらいしか買えないけどさ、いつか夢を叶えることができたら、いづみに本物をプレゼントするから。それまでがんばろうな。そんで、サザンの桑田とハラボーとか、ユーミンとかみたいに、ずっと一緒に夫婦でやってけたら最高だよな」
「・・・・・・うん」
 
 あたしはその夢は絶対に叶うと信じていた。・・・あの日、貴弥があんなことを言い出すまで。

 「俺、田舎帰るわ」 
 上京してから3年、音響の専門学校の卒業を間近にして貴弥がこう言いだした。
「いつまでも夢追っかけるなんてことできないし。才能ないのに、叶うと信じてくのもバカバカしいって思えてさ」
「何言ってんのよ?貴弥がみんなを今まで引っ張ってきたんじゃない!誠や慎吾もそう思うでしょ?」
 貴弥の言葉に愕然とするあたし。確かに最近はメンバー同志の空気にも、創る音楽にもなんとなく違和感を感じていた。でもまさか、一番熱心にやっていた貴弥がこんなことを言い出すなんて思いもしなかった。
「……貴弥がそんなに言うなら、早いほうがいいかもな。今からなら、就職活動に間に合うし」
「そうだな…そうしようか 」
他のメンバーもあっさり応じたのがあたしにはますますショックだった。
 いつまでも夢ばかり見ていられないのはわかってる。そうやって解散していった知り合いのバンドもたくさん知ってる。
 でもまさか自分たちがそうなるなんて思わなかった。夢を一途に信じてたのはあたし一人で、他の3人はちゃんと現実を見ていたんだ・・・。
 
 結局けんか別れみたいな感じでバンドは解散し、男3人は田舎に帰ったり、就職活動で走り回り、あたしは貴弥とも別れ、一人で夢を追いかける生活が始まった。

 「才能ないから」とあの日おどけてみせた貴弥。
 だけどそれが本心じゃなかったことに気づいたのは、半年後、お父さんが病気で亡くなり、貴弥が家業の楽器屋を継いだと田舎の母から聞いたときだった。
 親父が生きてる間は俺の好きなことをしたい・・・と、家業を継ぐのを嫌がっていた貴弥。よっぽど覚悟を決めてあの日あたしたちにいったんだ。よけいな心配をかけないために・・・。
 それを知った時、あたしは激しく後悔した。貴弥の苦しみに気づいてあげられずに一方的に彼を責めたことを……。
                       3
 「久しぶりだな、いづみ。いい曲だよな、おまえの歌」
 久々に会った貴弥は、最初こそ戸惑ったような顔をしたものの、あとはいつもの笑顔に変わっていた。あたしが、何か言おうと口を開きかけたとき、やってきた常連さんらしき人の言葉に、あたしは凍りついてしまった。 

 「よう!嶋田ー、結婚決まったんだってー?おめでとさん!」
 
 あたしの心がざわざわと騒ぎだす。
 もう彼のことを好きじゃない、って言ったら嘘になる。だけどそれは本心なのか、それともあの日交わした約束が心に引っかかってるからなのか、あたしにはよくわからなかった。
 
  「マスター、いろいろとありがとうございました!あたしのわがまま聞いてもらって・・・」
 取材を終え、撤収作業に入ったのを見計らって、あたしはマスターにお礼を言う。
 「じゃあ・・・これ僕からのお願いなんだけど、生でいづみちゃんの歌を聴きたいんだけどだめかな?」
マスターの言葉に、もちろんですよ、とあたしがうなずくと、それを聞いていた貴弥が、
「せっかくだから、俺に音響やらせてもらえないか?プロがするのとは比べものにはならんけどな」
と言い出して、それじゃあ、と間にマネージャーが入り、ピアノ一本の即席ライブのはずが、結局今夜この場所でミニライブをやるはめになってしまった。

 「嶋田君、がんばってますよ。楽器屋の店長が板に着いてきた」
マスターが注文もしないのにアイスミルクティーを差し出す。
「あたしの好きなの、よく覚えてますね・・・」
久しぶりに飲むそれは、昔飲んでたのと全然変わらない、優しくて甘さもちょうど良くて。上京後どんな喫茶店に行っても出会えなかった味そのままだった。

 「僕は、いづみちゃんたちはいつか一緒になるんだろうな、って思ってたんですけどね」
苦笑いするマスター。
「しょうがないですよ。あたしが、貴弥の気持ちに気づいてあげられなくてあんなひどいこと言っちゃったから……」
あたしの言葉にマスターは首を振り、優しく諭すように言う。
「嶋田くんはそんなこと思ってないよ、きっと。いづみちゃんに心配かけたくないって思ったんじゃないかな。・・・あのね、嶋田くんの彼女、いづみちゃんに似てるんだ。顔も、考え方も。嶋田くんの心の中には今でもいづみちゃんがいると思うよ」
                        4
 貴弥が機材と共に店に戻ってきて、着々とあたしのミニライブの準備が進んでいく。なれた手つきで機材を設置していく彼。
「すごいね、これ全部一人でやるんだ」
あたしが話しかけると。
「まあ、これが今の俺の『本職』だからな」
と、こともなげに言う。
 その言葉には今の仕事に対する彼なりの思いやプライドが込められてるような気がした。
 そして驚いたのが、何も注文しないのに、ほんの少し微調整した程度で、音響関係が少しの狂いもなく「あたし好み」に設定されていたことだった。
「当たり前だろ。何年おまえの音楽聴いてきたと思ってんだよ」
さも当然のように言った貴弥があの頃以上に輝いて見えた・・・・。
 
 事前に告知しなかったのに、いつの間にこんなに知れ渡ったのか……
 その夜、地元でのミニライブは、開演前からルミエルに人が入り切れないくらいの大盛況。客席に見える見慣れた顔のオンパレードに、今までのライブでは経験した事のない変な緊張感を味わっていた。

 用意した曲は10曲。普段のライブからすると半分だから、時間はあっという間に過ぎて。
 程なくかかったアンコールの声に応えてお礼を言おうとしたとき、一瞬静まった客席から、はっきりと聞こえた声にあたしははっとした。

 「『ALL I WISH』歌って!」

 客席が少しざわついている。無理もない、この曲は『織江いづみ』の曲じゃないから。
 バンド時代に唯一、あたしがヴォーカルを取った曲。解散してからは二度と人前では歌わなかった曲。
 なぜこの曲を・・・そんな気持ちで声のした方向に目をやると、後方にかつてのバンド仲間、慎吾と誠がいた。
 
 あたしの曲を『難解すぎて歌えない』と罵倒した慎吾。
 何を考えてるのかわからない鉄仮面、と周りに揶揄されるほど、クールで無表情な誠。
 バンド解散のとき、結成からずっと抱き続けた夢をあっさり諦めるなんて!と逆上し男メンバーを罵ったあたし。
 あのときの想いが、なんとしてでも自分ひとりでも夢を叶える!というあたしの原動力ともなった。
 だけど、今ならわかる。
 あの解散劇はきっと、夢を追いかけることのできなくなった貴弥の思いを汲んで、せめてあたしひとりでも夢に向かって歩いていけるように、貴弥やメンバー達が仕組んだある意味あたしへの花道だったのだと。
 
  「・・・じゃあ、リクエストにお答えして・・・4年ぶりかな?あたしにこの道を歩ませてくれた、大切な仲間達と作り上げた曲です。・・・『ALL I WISH』。」 

    ♪最後の言葉 伝えきれずに
     取り残された 想いくすぶる
     ひとの心に   永遠(とわ)などないと
     わかってたけど 信じたかった
     ずっと一緒に 歩きたかった
     もう届かない  途切れる All I Wish・・・♪ 

     
 ミニライブは無事成功に終わり、あたしはサイン責めにあったり、久しぶりに再会した同級生たちに捕まって、やっと開放されて一息着いたとき、打ち上げで盛り上がってるみんなから離れてマスターとカウンターで話す貴弥に気づいた。

 「いいんですか?いづみちゃんに言わなくても」
「いいんだよ。あいつには言わない方がいいんだ」
「正直、今でも忘れられないんじゃないですか?」
その言葉にどきっとした。次の言葉が気になって、そこから動かずにいた。会話が聞こえているのを悟られないように、二人に背を向けつつも、耳はしっかりと会話の行方を追っていた。

 「・・・好きだよ。今でも忘れられない。本当はいづみとずっと一緒にいたかった。・・・・だけど、俺と結婚するって事は歌を辞めて楽器屋の奥さんになるって事だ。あいつの一番大切なことを辞めてしまえなんて言えないよ。俺は素顔の『折田いづみ』も、こうやって歌ってる『織江いづみ』も好きだから。」

 
 3日後。
 短かったオフも終わり、あたしが帰るために空港に向かっていると、携帯が鳴る。 ディスプレイに浮かぶ発信者の名前は、嶋田貴弥。
「今日向こうに帰るんだってな。また、帰ってこいよな。」
「うん・・・ありがとね。こないだのライブ楽しかった。貴弥のおかげで本当に助かったわ」
「・・・俺も。あの頃のことを思い出したよ。・・・ごめんな。俺は約束を守れなかった、最後までいづみと一緒に夢を追いかけられなかったけど、ずっといづみを応援し続けるから。俺はずっといづみと一緒に音楽をやれたこと、いづみを好きになったこと、まわり道したけど今の仕事を選んだことは後悔してない。だから、一つだけ約束してくれないか?」
「何・・・・?」
あふれそうな涙を必死にこらえて次の言葉を待つ。

 「できる限り、いづみには音楽を続けてほしい。これからもたくさんのいづみの音楽をずっと聴き続けたいし、いづみと一緒に音楽をやってた、一緒に夢を追いかけたことを誇りにしたいから」

 電話が切れた後、あたしはしばらく涙が止まらなかった。
 あたしこそ約束を守れなくて、貴弥にもひどいことを言ったのに、そんなあたしを愛してくれたこと、歌手としてのあたしを応援すると言ってくれたこと、今の仕事に対する姿勢、情熱・・・・あたしが好きになった貴弥の暖かさや真剣さが今でも変わってないことがうれしかった。 
 
 目指す道が完全に別れてしまったあたしたち。これからの貴弥の夢を、もうあたしに支えることはできない。
 だけど、今度こそ約束を守れると思った。それはあたしが『音楽』を続けている限り、実現可能な約束なのだから。

 鉄橋のむこうに、空港が見えてきた。
 あたしはおもむろに窓を開け、あの日貴弥にもらったペンダントを空に向かって投げ上げた。
 守れなかった過去の約束に縛られずに、新たに誓った約束を守るために。
 初めて心から愛した人が、いつまでも誇りに思ってくれるようなあたし自身でいるために。

 弧を描いて舞い上がった『約束の証』は、眩しい光に煌めきながら、真夏の青空に溶け込むように消えて行った……。
 
                            『空に投げた約束〜帰郷〜』 【 終 】     

Back to Index 

From Yuzuki
「ルミエルシリーズ」第三弾。
毎回ルミエルの関係者や常連’sに脚光を当てたこのシリーズ、
今回のメインは若き楽器屋店主、嶋田くんとかつての彼の恋人いづみ。
実は、メルマガでこっそり書いていたのですが、この物語の嶋田視点のストーリーも存在します。
サイト休止と共にメルマガも廃刊になったので、この話未だ未完(苦笑)。
いつか完結させて日の目を見せてあげたい・・・。

※この物語は、『第7回うおのめ文学賞』に参加しています。※

 


templates by A Moveable Feast